第三回目のミュージアムは、音と絵画が織りなす至高のファンタジー、フェラチ○オミュージアムである。

 そもそもフェラチ○オとは古代エジプト時代にはすでにその存在を確認されており、有名なクレ・O・パトラはフェラチ○オの名人だったからこそフェラオと呼ばれ、ローマ帝国の大王カエサル王はクレ・O(以下略)の抜群の口技にぞっこんラブとなり、クレオ(以下略)を支援してエジプトでの独裁政治の礎を築いた。 と、まことしやかに噂されるほど、フェラチ○オというものは女性にとって重要な技術であるとと共に、政治、経済に多大な影響を及ぼす技術であると小生は考える。

 そもフェラチ○オという行為は、生命維持のために必要な食物を摂取する重要な器官である「口」を使用しながら、ある特定の器官に対してしか生産性を持たない男性生殖器を受け入れ、あまつさえそれを人体でもっとも敏感な器官の一つである舌で愛撫を施し、精液という女性にとって生命維持活動にとっては不必要な───男性にとっては特定の場合を除いては排泄物としか言えない───ものを、受け止め、嚥下し、体内に取り込むという、生命を維持し、子孫を残すという人間の本能から言えば全く無意味な事象ではあるのだが、逆に無意味な事象だからこそ、そこに各人の大いなる妄想が入り込む余地があり、だからこそフェラチ○オという行為は、そこに子孫繁栄という生物としての本能を含むセックスという行為よりも崇高で、純粋で、濃厚な愛を示す行為たり得るのだ。

 そして純粋であり、濃厚な愛を含有するからこそ、その行為は人々の心をとらえて放さない。
 そこに、真実たるフェラチ○オという儀式の根底があり、なおかつ表現を渇望すべき重要な儀式としての存在意義が確定するのだ。

 生物としての本能とは別次元で行われる愛の儀式。
 それが「フェラチ○オ」なのだ。

 純粋な愛を欲してやまない求道者たちよ。
 純粋な者たちよ。

 ねだるな。勝ち取れ。さすれば与えられん。

 ここにフェラチ○オがあるのだから!

 ジーク・フェラ!


(文中に登場する人物、格言、歴史などは、現実世界とはなんら関係の無いフィクションです。予めご了承下さい)